そっと手を合わせて

宮城の酒

あの日からちょうど3年が経ち、今日は静かに過ごしています。

ここで命が尽きるかと覚悟した記憶は未だに忘れることもできず、被災地の映像を目にすると涙が出てくるけれど、今もこうして生きている事に深く感謝したいと思っています。
そして、あの日犠牲となった方々に心からの祈りを。

生き残ったからには、これからの生を全力で生き抜くことが残された者の責任!
と、肝に銘じていたはずなのだけど、繰り返される日常の中でそんな思いも忘れがちになってしまうのよね。
毎年この日には気持ちをリセットして、1日1日を大切に、周りの人を大切に、という気持ちを思い出すようにしないと。

東北から関東に住まいを移して約1年、相変わらず
「もう仙台に帰る!!」
とゴネて夫を困らせています。

私は落花生の国出身だというのに、いったいどこに帰るというのか。
(ちなみに夫は彩の国出身)

この1年で東北に2回ほど旅行しました。
出来る範囲で経済に貢献できたらいいな、と思って。
日本酒なんて10リットル以上は買ってると思う......最近専用の冷蔵庫を買おうかどうか迷っています。

10年後......は無理だけど、
20年後には東北でのんびり暮らしたい......できるかな。

Comments [4]

No.4

初コメント失礼します。

自分は、水曜に突発性難聴と診断を受けました。

朝から右耳がほぼ聞こえない状態で、鼓膜破れかと思いきや痛みがない。
心当たりもないので、胸騒ぎを感じ仕事終わりで行ける耳鼻科へ行きました。
現状、処方されたステロイド剤で兆候が見られず、翌月曜から治療入院となります。

診断を受けた当初、あまりの突然のことに受け入れる前に情報がほしいの一点でした。
調べてくうちに、wakabaさんの闘病記にいきつきました。

知りたい的確な情報、発症者ならではの観点での手記に共感を覚えました。

治癒された現在までを知り、不安から受け入れる覚悟に変わりつつあります。


ありがとうございます。


今もまだ右耳の聴力はありませんが、
自分も早期発見早期治療と30代前半であることが好転につながればと思っています。

原因不明なこの病に、この手記は自信をくれます。

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プロフィール

wakaba
29歳の春に突発性難聴と診断されました。
一時期は左耳がほとんど聞こえない状態でしたが、なんとか日常生活に支障のないレベルまで回復できました。
当時の治療の様子や、現在の症状などを中心に記録していきます。
発症してから十数年経ち、今は40代です。

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