ちょっと悪化

今年も私の苦手な季節がやってまいりました
先日の仙台は初めての夏日になり、早くも夏バテ気味です。

最近、耳の調子があまり良くありません。

あの震災後、引越しをしたり、夫の単身赴任の準備をしたり慌ただしく過ごしている時は元気だったのですが、一段落して気が緩んでから体の調子がちょっと微妙

間の悪いことに今はあちこち工事中で、いろんな音がするんですよね。

道路・水道・電柱などの修復がやっと終わり、今はマンションなどの建物関係の修復や取り壊しが行われています。
私の住むマンションも例外ではなく、足場を組んで布(?)っぽいものを被せて、かなり派手に修復工事をしています。

コンコン・カンカン・ドルゥゥゥッと、それはそれはすごい音がします

図書館にでも避難しようと思って出かけたら、図書館も工事中でした。

でも、日を追うごとにキレイに修復されていくマンションを見るのはちょっと楽しかったりもします

そろそろ震災から3カ月ですね。
過去の大地震では、最大クラスの余震が3ヶ月後に起こっているケースもあります。
東北以外にお住まいの方も、他人事だとは思わずに備えだけはしておきましょう。

Comments [4]

No.1

Tacchinさま
はじめまして、コメントありがとうございます。

発症から治療を経て回復に至るまでの経緯を詳しく書いていただいてありがとうございます。
妙に臨場感にあふれていたので、思わず夢中で読んでしまいました。

ハードスケジュールの中、少々無謀にも見える治療を本当にお疲れさまでした。
そこまで徹底した治療をすると「副作用もしょうがないのかな」とも思ってしまいますが、やっぱり辛いのは嫌ですよね、残暑も続いていますから、どうぞお体をお大事に。
でも、症状が良くなって本当によかった!

ソウル大学での講演もお疲れさまでした。

1000年に一度と言われる大災害を、いろんな立場の人が様々な切り口から後世に伝えていくのは本当に大切なことだと思います。

私も仙台で被災し、多少怖い思いもしました。
(津波の被害こそなかったものの、マンションが倒壊寸前で引っ越しました。)
でも、周囲には津波で家を失った方、家族を失った方もいらっしゃって、それでも生き残った以上は生き続けなきゃいけなくて、皆必死で前を向こうとしているように思えます。

「復興ムード」という奇妙な熱気に包まれて、妙に活気はあるんですけどね。
一見明るいムードに見えるのですが、時々なんだか悲しく、痛々しく感じられるときもあります。
震災の傷を癒すにはきっと長い時間が必要になるので、あまり頑張りすぎないで一歩一歩立ち直っていけたらいいですね。

最後あまり病気と関係のない話になってしまってすみませんでした。
どうぞお体を大事になさってくださいね。

No.2

wakaba 様

 私は2011年6月23日に発症、ちょうど2か月前のことでした。

大学の教員をしているのですが、すでに8年前から不眠症状が前景に出る厄介な鬱病に悩まされ、とにかく、それまで十数年に及ぶ異常な過労の蓄積(そんなのあるんかいな、と思っていたら、私の大好きな鬼束ちひろさんがそれだったと聞いて、「あるんだぁ、ほんとに」と思いました)が原因だから仕事をセーブせよ、と言われていたものの、なんと6月の5日頃、1か月後にソウル大学で開かれる学会に出席してほしい、できれば講演も(英語!)、と困り切った顔で同僚に頼まれ、断り切れずに、医師の忠告もものかわ、「無理」ではなく「無茶苦茶」をして1週間で論文を書き上げ、英語チェックも終わったところで、「あれ、なんか耳がはれぼったい」……それが前兆でした。

 たぶん疲れたんだろう、ってことで木曜日の夜は早く休み、金曜日に最終チェックを終わって、やれうれしや、これで2週間は余裕ができる、と思ったときには、耳の中がジリジリ・ザラザラと非常に聞き取りづらくなっていました。「いくらなんでも、あんな無茶をやったんだから、仕方あるまい」と金曜日夜も早く休みました。

 しかし、翌日・土曜日、耳の具合はさらに悪化、にもかかわらずいつものクセで左に受話器を取って、電話すると……聞こえない。「あれ、ついに寿命かな?」と思って右にあてたら、かろうじて聞こえる……。真っ青になりました。

 急遽、土曜日午後に診療している医師を電話で探し、駆け込んだところ、聴力検査だけで「突発性難聴です」との診断。
すでにその時、左耳低域は90dBという高度難聴状態、右耳も40dBという両側性の可能性もある、という事態に呆然。
土曜日だけに入院もままならず、月曜日まで待って(結局、発症から5日め)に日赤病院の耳鼻科に紹介状を持って駆け込みましたが、その時は左耳全域が90dB以上の高度難聴、残りも中等度の悪い方の難聴だという診断でした。

 もう、通院だの入院だのの選択の余地もありません。
即座に入院を決断、ただ、翌週にはソウル大学行きが控えています。
本来ならば、ブレドニゾロンを100mg入れて最低でも2週間の入院、というスケジュールなのですが、問題は私がやる予定の講演です。
そのタイトルが「東日本大震災における日本の消費者および政府の対応についてのレポート」です。組織委員会からは、「それはみんな聞きたいに決まっている」と、遅れての論文提出にもかかわらず、あっという間に祭り上げられて後に引けません。

 渋る医師を必死で説得、なんとか60mg/dayのコースをいちかばちかで入院当日からスタート、経過を見ながら、という条件つきながらも翌週月曜日いったん退院、帰国後、翌々週月曜日に再来院を約束して、超緊急の1クール開始(そんなんあるんかしらん?)でした。

 それにしても、ステロイド療法の全身管理の厳重さは驚きでした。
看護師さんや薬剤師さんたちが入れ替わり立ち替わり、それに主治医も休日出勤してきて様子を見に来られたり(なぜか、全員若い女性!)と、とにかく神経をぴりぴりさせながらも、病室でゆったりと過ごせるように配慮してくださっているのが手に取るようにわかり、本当に感謝したものです。
もっとも、1時間おきに看護師さんが様子をうかがいに来られるのはいいとして、ゆったりするあまり、つい居眠りしてしまっていたら、「すわ、低血糖昏睡か」と寝ぼけ眼にも凄まじい形相で「大丈夫ですかっ!」と尋ねられたのには苦笑しました。

 幸い、難聴の程度がひどかったにもかかわらず、割に素直に聴力は上昇し、入院8日目「一時退院」の時には、右は完全に(というよりも、もとよりも良くなって)もとどおり、左も20~30dB差で、自覚症状としては、左耳に耳栓をつけたような感じが少し残る状態でした。

 それから1週間、周囲にはひた隠しに隠して、さりげなく振る舞って、どうにか無事に自分の出番もこなし(後で質問されたのには困りましたが)、耳もその後徐々に快調になってきてはいました。

 それで帰国してすぐ、発症から16日めの月曜日、約束通り外来で診察してもらったところ、なんと、聴力は完全に回復、むしろ、若い時並みに高音域まですっきり伸びたオージオグラムに、お医者さんも「よかったですねぇ、これならリスキーなステロイドを続ける必要もないし、入院もいりません。本当によかったですねぇ」と、2週間前の深刻な表情がウソのように明るい顔で送ってくださいました。再入院のつもりの病棟看護師長さんにも挨拶したら「あらぁ、そりゃあよかったですねぇ、ほんとによかった」とのこと。

 おそらく、私の場合はとびきり運が良かったのだと思います。
病院にかかったときの聴力や両側性の疑いもあるという予後不良の示唆があったのですが、不思議なことに、いつも悲観的になりがちな私が(なにしろ、鬱病ですから)「どうにかなるんじゃないの」と最初から思い込んでいたのも、後になれば不思議なことです。

 実は、唯一の趣味が音楽鑑賞でオーディオ道楽、もし聴力を失っていたら、道楽はおろか、仕事も続けるのが難しくなるところでした。
しかし、元通りに聴力が戻って無理算段にも程のある仕事も仕上げ、やっとほっとしたところですが、やはり副作用でしょうか。
今も時として倦怠感が非常に強い日があります。内科医は「まぁ、風邪はひかんように」と注意してくれましたが、だるくてだるくてきつくても、耳を失ったら、と思えば大した事はありません。
じっと横になっていればいいのですから。

 ただ、私の講演のテーマ、実に2万人にも及ぶという夥しい犠牲者、それに原子力「人災」、それらの人々の無念の思いを、私のライフワークである「学問の言葉」で刻みつけ、人々の胸に刻みつけたい、と一心に念じていました。

今もその思いは変わらず、もう一つの原稿に取り組むところです。
ひょっとしたら、一心に念じた私の思いに共感してくださった彼岸の方のおかげかな、とも思いますが、思い上がりでしょうか。

No.3

じゅじゅさま
コメントありがとうございます。

マンションの工事は更に絶好調で、今は駐車場のアスファルトをはがしています。
小さなショベルカー(?って言うのかな)でバリバリと。
アスファルトって意外と簡単に掘れるんだな……と妙に感心しています。
大きい音が出るのは日中なので、適当に避難しつつやりすごしています。

ステロイドが終わったんですね、お疲れ様です。
あの薬すっごくむくみますよね、私なんて顔がパンパンでしたもの。

もし体を動かすことがストレスにならなければ、軽く散歩するのもいいと思うけど、蒸し暑いし梅雨だしあまり外には出たくないですよね。

薬が抜けてきたらむくみも嘘みたいになくなってくれるから、あまり気にせずにお過ごしくださいね。

No.4

こんにちは
被災していないコチラでは忘れてはいけないけど、頭から離れていってしまいます。だめですね・・・

私の住んでいるところはいなかでまわりは静かで・・・日中は耳鳴りのほうが大きいぐらいです
音がつらいのすごく分かります。夕方子供たちが帰って来てテレビがついて・・・となると、即みみせん状態です

耳のほうは
おとついにやっとステロイドの薬が終わりました
耳鳴りはあいかわらずです
疲れると耳がつまってきます
メチコバールなどの薬はまだ続いています
今は
ステロイドの副作用であろう、むくんだ体と、食欲増でふっとた体を
どうしようか悩んでます(汗)

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プロフィール

wakaba
29歳の春に突発性難聴と診断されました。
一時期は左耳がほとんど聞こえない状態でしたが、なんとか日常生活に支障のないレベルまで回復できました。
当時の治療の様子や、現在の症状などを中心に記録していきます。
発症してから十数年経ち、今は40代です。

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