本当は日曜日の11日で震災からちょうど1年なんだけど、揺れた日が金曜日だったせいか、なんとなく私の中では今日で1年がたったような気がします。
直前まで「今年の桜はいつ頃咲くかねー」なんて能天気な会話をしていたのに、あの日を境に生活も価値観も一変。
震災直後は文字通り「生きた心地のしない」状態で、正直「1年後は生きてないかも」と思った日もありました。
家も全壊しちゃうし
そんな中で、知人友人だけではなくパソコンの向こう側の方々からお気遣いの声を頂いたこと、本当に嬉しく励みになりました。
この場を借りて「ありがとう」を言わせてください。
本当にありがとうございました。
wakaba
かおかお さま
コメントありがとうございます!
季節性の風邪みたいに短期間でスッキリ治ればいいんですけどね、そうもいかないのが厄介なところです。
焦ったところで長丁場になるのは変わらないから、ある意味開き直って日常をいつも通りお過ごしください。
こちらもようやく薄物のコートで外出ができるようになりました。
今は桜が見ごろで暇さえあれば近所を歩いています。
かおかお
Wakabaさま
ありがとうございます。
やはり症状は、 一進一退?のようで…仕事を続けながらは難しいのかなぁと落ち込んだりしつつ 治療と家庭と仕事に時間を使っています。
福岡は、この数日暖かく上着無しで過ごせてますよ♪
暖かくなって難聴も無くならないかなぁと期待したいところです。
ブログ楽しみにしてます。遅くにごめんなさい。
wakaba
かおかおさま
はじめまして、コメントありがとうございます。
治療は順調に進んでいらっしゃるでしょうか。
症状は良くなったり悪くなったり、一進一退を繰り返すことも多いと思うので、あまり焦らずにじっくり治療に専念してくださいね。
福岡はもうずいぶん暖かそうですね。
仙台では昨日ようやく桜の開花宣言が出ましたが、今日は天気も悪く、ダウンジャケットを着て外出していました。
週末はのんびりお花見しながらゆっくりしたいなー、と思っています。
かおかおさんもどうぞお大事に。
かおかお
Wakabaさま
突然のコメントですみません。福岡に住む44才の主婦です。。
私も 4月15日なに突然 耳の閉塞感に襲われ近くの耳鼻咽喉科を受診し 〈突発性難聴〉と診断されました。情報収集の為 パソコン開いて読んだサイトがWakabaさんのサイトでした。
まだまだ治療を始めたばかりで不安だらけですが 焦らずゆっくり向きあって行きたいと思います。
Wakabaさんのブログを読んで少し安心できました。ありがとうございました。
wakaba
Tacchin さま
こんにちは、コメントありがとうございます。
返信が遅れてしまって申し訳ありませんでした。
3/11のその日はずっと家にいて静かに過ごしていました。
あれだけの災害だったのに時間の経過とともに色々な思いが薄れつつあるのは実感しています。
私が住んでいる地域の主な被害は地震そのものによる建物やインフラの被害で、1年経った今、多少道路が陥没しているくらいで震災前とほとんど変わらない暮らしができています。
ライフラインも戻ったし、信号も直ったし、病院もコンビニもちゃんと営業しています。
むしろ人が増え(津波被害のあった地域からどんどん人が流入しています)以前より賑やかになったくらいです。
ただ、ここから車を20分ほど走らせるとあたり一面ガレキの山です。
道路を1本隔てただけでこうも違うのかと愕然とします。
同じ被災地でも明暗が分かれ、比較的被害の少なかった地域では震災の傷跡が薄れつつあるのを見ると、これでいいのかとモヤモヤした気持ちになってしまいます。
(私自身が沿岸部に行く用事が多々あり、ガレキの山を目にする機会が多いのでそう感じるだけかも知れませんが)
(賛否両論あるのは承知の上ですが)個人的には観光ツアーや修学旅行等で津波被害のあった土地に来てもらって、色々見てもらってもいいのにな、と思っています。
何もしなくていいから、景色を見て何かを感じてくれたらそれだけで十分なのですが……
Tacchin
wakaba 様
そう、1年なんですね。たった1年、もう1年、まだ僅かに1年……いろんな思いが交錯する中、私はその日1日、自分一人でTVも音楽も聴かず、静かに過ごしていました。
NHKは「支えあおう」というスローガンで特集をやっていました。
当たりの柔らかい三宅民夫アナウンサーの総合司会というのも悪いことではないと思いましたが、なぜ「支えあう」と「言い切り」にしなかったのだろう、と疑問に思っていました。
他人と違うことをしたり考えたりすることを、とかく異端視し、どうかすれば敵視する傾向の強いこの國で、「支えあおう」と呼びかければ、「そのスローガンに異議あり」という声をかき消すことになりはしないか、それに「支えあう」という「言い切り」なら、作り手の側も、必死で元の生活、あるいは元よりもっとましな生活を目指している人々と同じ高さに立つことを自覚するはずなのに、「支えあおう」では、どうしても「上から目線」になりはしないか、と考え込んでいました。
はや1年という点では、もうあれだけの震災の教訓を「のど元過ぎれば忘れる」で過去のものにしてしまおうという圧力もひしひしと強まっているようです。典型は、原発の再稼働や原発必要性論でしょう。
実は、その日の夜、ナショナル・ジオグラフィック・チャンネルでは「3.11スペシャル」と称して4時間ばかり特集を組んでいました。
「スペシャル」という言葉にひっかかりはあったものの、その中の一つ「衝撃の瞬間・福島第一原発」では、事故直後に来日した国際原子力機関(IAEA)の調査団長が、はっきりと東京電力の「怠慢(negligence)」を指摘していましたが、逆に、直後に当時の菅首相が東京電力に乗り込んで決意を迫ったことは「的確」と評価していました。
ついでに、その番組でははっきりと「後任の野田首相は原子力推進の意向を示している」と断言していました。
外から見た目は「1年後」の一断面をそんなふうに見ているんだ、と日頃からの疑問が氷解した瞬間でした。
いくら世界でも屈指の災害「大国」だといっても、あまりに簡単に忘れてしまうには、あまりにも多くのものを抱え込んでしまった、そのことを忘れるのが一番良くない、と思います。――津波被害の大きさに比べて建物倒壊の被害は比較的小さかった、と言われていますが、当事者にすれば、「比較的小さかった」被害がすべて、なんですよね。それをはっきり認識することが、被災した方々と同じ高さに立つことだと思うんですが。
Tacchin